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板橋駅西口徒歩2分!(会員制)学びサロン「いたばし研究所」の所長ホッピーのブログ

【名言】宮城道雄の言葉

みなさんこんにちは!

いたばし研究所のホッピーです。

 

毎月父が

いたばし研究所のトイレに飾る短冊を

送ってくれてるのですが、

 

前回はこちら↓

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昨日、今月分が送られてきました😊

 

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人生には不幸を通ってくる幸福があるように

落ち葉の向こうに春の芽生が待っている

 

おお、なんかすごい深い言葉だなと感じ

宮城道雄ってどんな人だろと調べてみた。

 

宮城道雄

www.miyagikai.gr.jp

(1894〜1956 兵庫県)
明治27(1894)年

兵庫県に生まれる。

 

幼いころにかかった目の病気がもとで

だんだんと視力を失い

8歳のころには完全に失明。

 

この失明が転機ともなり音楽の道を志す。

 

こと(箏)を習うために

神戸の箏曲家のもとに入門。

11歳になると早くも免許皆伝となる。

 

13歳のとき

朝鮮半島で働いていた父親が重傷を負い、

宮城は家計を助けるため

朝鮮半島に渡ることに。

そこで弟子をとって教えながらも、

みずから演奏家として活動し

だんだんと名を広めていった。

 

満14歳

初めての作品になる「水の変態」を作曲

作曲家としての道も歩み始める。

 

 

その後も努力し続けた宮城は

22歳になると最高位「大検校」となり

さらに名声を広める。

 

その翌年、東京に向かうが程なくして妻が病死

貧窮(貧しくて生活に困る)したが

その翌年再婚。

 

大正8(1919)年、25歳で

ついに自分のつくった曲を集めて

第一回作品発表会を開き

作曲家として本格的なデビューを果たす。

 

教科書に鑑賞曲として載っている「春の海」は

昭和4(1929)年、35歳のときに作曲されたもので世界的にも有名。


春の海(Haru No Umi) 宮城道雄

 

宮城はその後も、演奏活動だけでなく

十七弦や八十弦などの新楽器を考案するなど

楽器に工夫をほどこしたり

自分の弟子にだけではなく

音楽学校での指導にあたったりと

さまざまな活躍をする。

 

昭和31(1956)年

演奏旅行のため移動中の夜行列車から

誤まって転落し

多くの人に惜しまれながら

62歳の生涯を閉じる。

 

落ち葉の向こうには春の芽吹が待っている

失明しても、それを転機に音楽家として大成功した宮城道雄

 

何度苦難があっても

努力で立ち向かったその言葉は

新型コロナウイルスに負けない

世界に向けたエールだと思った。

 

父さんありがとう^^

 

前の短冊もしまっちゃうのもったいないから

並べて展示しちゃおうかな😁

 

今日も最後まで読んでいただき

ありがとうございました😊